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2011年10月 3日 (月)

「頭がいい」と「賢い」の違い

普通、「あの人は頭がいい」と言うとイコール「賢い」という意味にも使われるようですが,ちょっと違うようです。

「頭がいい人」という言葉には、「いろいろなことを知っている」、「学校の成績が良い」、「記憶力が良い」、「一流の大学を卒業した」などに当てはまる人をさすような気がします。たとえば官僚とか,弁護士とか一流会社の社員といった人はほとんどこの条件に当てはまるのでしょう。

しかし、本当にそのような人たちが「賢い」のかというと、どうも違うのではないか。最近の出来事を見ているとそんな気持ちが強くなってくるのを抑えることが出来ません。

国会でも追求された「東電の損害賠償申請書と解説書」のことです。

報道によれば、請求のための申請書類は約60ページの冊子になっており、それに「補償金ご請求のご案内」と書かれた156ページの分厚いマニュアルがついているという膨大なもので、しかも損害賠償申請書は1人につき1冊ずつ。家族が4人居たら4冊書かなければなりません。

原発被害者は高齢な方も多く、マニュアルをしっかり読んで、きちんと賠償請求書に間違いなく記入できる人はごくわずかでしょう。

被害者の中には「これは嫌がらせか」という声も多く上がったそうです。

この問題は、国会でも野党から厳しく追及され,政府も東電に対して早急に改善するよう申し入れたそうですが、問題はなぜこんなことになるのかということです。

東電の担当者も損害賠償請求書やマニュアルづくりに関わった弁護士たちも、「頭のいい人」のはずです。おそらく優秀な学校を出た優秀な人ばかりでしょう。

その頭が良くて優秀であるはずの人々がこんな愚かなことをするのはなぜでしょう。

多分、世間一般で言う「頭がいい」というのは「賢さ」とは違うのでしょう。

本当に賢ければ、そんな膨大なページ数の損害賠償請求書やマニュアルを送りつけたら、被害者がどう思うかぐらいのことは想像できるはずです。

その結果、マスコミが取り上げ、非難の声が起こり、東電の立場がさらに悪くなることぐらいちょっと考えれば分かることでしょう。

そんなことが想像できないというのは考えられません。

おそらく何かのせいで目が曇ってしまうのでしょう。

自分の社内での立場、クライアントの要求には逆らえない。そこに想像力の欠如と相手を思いやることのできない自己中心的な心が加わると、このような愚か者が出来上がるというわけです。

事にあたってはひとりの人間に立ち返り、想像力と思いやりを持って、何が正しい事なのかを判断する。

頭のいい愚か者になるなかれ。

まさに、政治家としても肝に銘じるべき事です。

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